駅前でもないリゾートでもない。

都市のエッジの空き家をホテルにリノベしているワケ。

小笠原 太一  2020年5月某日

01​

独立から心機一転。鬱々とした日本での生活を飛び出し上海へ

発展を続ける中国での刺激的な日々

2002年、大学の建築学科を卒業し京都で建築士としてのキャリアをスタートした後、一通りの仕事を覚えると独立して小さな設計事務所を構えた。就職氷河期のころから数年がたち少し景気もマシになってきたところでリーマンショックがあり、駆け出しの建築士が一人食べていけるだけの仕事もなかった。

 

30歳目前の2010年。そうした日々に鬱々としていた私は、状況を打開しようと小さな求人広告でみつけた上海の設計事務所に飛び込んだ。当時の中国は近代的な建物がどんどん建設されていて、所変われば品変わるとでも言うかのように日本では必要とされていなかった建築士という職種が猛烈に求められていた。

 

再びサラリーマンとなった私の仕事は忙しかった。給与は毎年増え、仲間も増え、友人も増え、そして中国という国が発展していくエネルギーに熱狂した。

 

設計事務所は典型的な受注産業であり景気に左右されやすく安定的な経営が難しいと考えていた私は、当時のボスと意気投合し、これらの問題を改善することが主業務となった。私は可視化しづらいデザイン業務の合理化や個人の裁量に依存しすぎていた営業のチーム化を推し進めた。

 

職人的なデザイナーの集まりだった事務所は急速な組織化が進み、人員も増えて一人あたりの売上・利益が大幅にアップした。また売上見込みの可視化が進み経営の見通しがたつようになると、設計者の立場で得たノウハウを元に、設計業務に変わる新規事業の開発も進めていた。

 

 

ただ、拡大を急いだ組織はちょっとした事をきっかけに瓦解し、私を含めて半分以上が会社を去っていった。そのまま上海に残って設計事務所を開くことも考えたが、設計士からの脱却をテーマに仕事をしてきた私には、すでにデザイナーとしての熱意は残っていなかった。

開発や企画への舵きりを模索していたが、当時の私に何か具体的な案があるわけではなかった。

△左:上海で働いていたオフィスは工場を改修した創意園と呼ばれるクリエイティブオフィス。右:当時の陸家嘴。今みるとここからさらに高いビルが乱立するなんて当時は考えつかなかった。

02

上海からの帰国。福岡へ移住。

博多駅裏の自宅兼事務所をAirbnbに登録


 

私は2014年頃から建築不動産絡みのベンチャーサービスとして設計事務所と相性の良い事業としてAirbnbに注目していた。Airbnbは、空き部屋を貸したい人(ホスト)と部屋を借りたい旅人(ゲスト)とをつなぐWebサービスで、日本を含む世界190ヶ国33,000以上の都市で利用されている。

 

私は上海も含めて、いい出店候補地がないかと東アジアの都市をいくつかリサーチもしていた。その中でもっとも具合が良さそうだったのが福岡だった。当時、福岡の宿泊施設は不足しておりインバウンドの盛り上がりが極端な需給ギャップを産み出していた。さらに福岡の都市部では賃貸用不動産の賃料が他の都市と比較して低かったため、高利益に繋がると予測した。上海との距離が近いのもよかった。

 

来たる2016年。福岡に移住することに決めた。人的なツテもないゼロからのスタートだ。

まず、私は仕事場兼自宅で借りた博多駅裏の2LDKのアパートの一室を当時流行の兆しを見せ始めていたAirbnb(エアービーエヌビー)に登録した。同時に近所にもう一部屋、Airbnb専用にワンルームのマンションも借りた。

 

登録するやいなや、すぐに予約が入り世界中のゲストが部屋に泊まりに来た。自分の部屋の空き部屋がインターネットを使って世界中の旅行者に提供できる仕組みに改めて関心したのをよく覚えている。

 

自分が想いを込めて作った空間が、世界中の旅行者に選ばれて利用される。

それは設計者として初めての感動だった。

 

泊まりに来た世界中のゲストは面白い人たちばかりだった。

彼らはとても個性的でユニークな人達だった。

 

例えば、本国から遊びにきた恋人と過ごすため福岡で一週間滞在すると言っていたイギリス人の女性。彼女は民俗学の研究のために九州の離島に滞在していたそうだ。わざわざ恋人と過ごす場所として私の部屋を選んでくれた。
 

韓国人の建築家とランドスケープデザイナーのカップルは旅行のついでに熱心に福岡の建築や緑化の事例を見学していて、にわか移住者である私なんかよりよっぽど福岡の街について詳しかった。

 

日本の酒を販売したいと福岡に移住してきたニューヨーカーは、1ヶ月以上も私の部屋に滞在してくれた。その後は本格的に福岡に移住し、私が設計したゲストハウスの竣工写真も撮ってくれた。彼は今、福岡でニューヨークのワインを販売し、アメリカに日本の酒や焼酎を紹介している。

 

パッと思い浮かべるだけでも本当にいろんな人が頭に浮かぶ。

 

それから数年が経ち、当時感じた興奮が薄れていく中、個人で異文化交流を楽しんでいたホスト達は本格的に宿泊業をはじめセミプロ化していった。その後もAirbnbの利用者は増え続け、様々なトラブルを抱えながらも徐々に市民権を得ていった。

△福岡で事務所兼自宅として借りた2LDKの部屋
△最初のゲストは台湾人の青年で香港でIT関係の仕事をしていた。上海時代の友人も福岡に遊びに来てくれた。

03​

激化する大都市圏でのホテル開発に嫌気が差し地方都市へ

そんな中、見つけた1軒の空き家


私がターゲットにしてきたのは外国人旅行者だ。だから彼らが新鮮だと感じる場所のリサーチを続けてきた。やはり海辺のリゾート地は人気で、日本でも沖縄を始めとしたマリンリゾート地は大人気だ。糸島や唐津などの日本海側や沖縄、五島列島や壱岐など素晴らしい自然環境がある場所も検討したが、私は当初から日本のマリンリゾート地は対象外としていた。

 

外国人観光客は、バリ島やプーケットといったアジアのリゾート地と比較する。沖縄ですら中国の代表的なリゾート地である海南島に劣る。日本人にはあまり馴染みがないが、中国のリゾート開発は凄まじく、価格的にも品質的にもとてもじゃないが太刀打ちできない現状である。

△中国海南島三亜のホテル。外資系高級ホテルが乱立している。宿泊価格も2011年当時は日本円で一人一泊1万円もしなかったように思う。

日本で優位性を保てるのは今の所スノーリゾートかスパリゾートくらいか。

 

豊富な温泉資源を活用したスパリゾートは、古くからの旅館も多く競合や利権などもあって新規参入は難しい。九州では雪がふらないからスノーリゾートもダメだ。

 

 

 

外国人旅行者からみると日本で面白いのは、やはり都市部だ。日本の都市はアジア的な雑多さがありながら、安全で公共交通機関が発達していて、何を食べても美味しい。

都市の中で宿泊施設に適した場所はどこか?

 

都市型宿泊施設の代表格であるビジネスホテルに適した駅前や繁華街は、宿泊に特化したような施設には最適だ。しかし駅前や繁華街は競争も激しく地価も高い。

 

 

2017年ころから日本の大都市圏ではインバウンドの盛り上がりとともに爆発的にホテル開発が進んだ。結果、宿泊施設の価格競争が始まりつつあった。しかし駅前、繁華街などの高立地の地価は高騰を続けた。

 

そんな状況に嫌気が差し、私は地方都市での展開を模索していた。

 

日本の地方都市は公共交通機関が発達していて、食べ物が美味しく、買い物も便利だ。外国に暮らした人から見ると、日本は国の隅々までインフラが整った珍しい国だ。

 

地方都市の中でも駅前は駄目だ。変に再開発されてしまい街特有のキャラクターが消えている。繁華街や観光地なども中途半端な整備が逆に街の魅力を消していて悲惨だが、相変わらず地価や賃料は高かったりもする。

 

 

街の中心部に近く、地元の人からは人気がない。なんらかの理由で場所代が安い裏通りや繁華街の縁=エッジは狙い目だ。地元の人が寄り付かないような場所でも、外国人旅行者や私のような余所者にとっては逆に刺激的だったり、ローカルな雰囲気が残っていたりしていて面白かったりする。

そんな場所に魅力を感じる。

 

 

 

地方都市で増えている空き家を宿泊施設として利用するアイデアは私の知る限り2000年台初頭からあったが、当時は集客がうまくいかず事業として採算ベースにのせることが難しかった。

 

しかし、テクノロジーの進化によってAirbnbのようなサービスが産まれLCCなどの移動交通の発達、そして東アジアの国の発展により、日本の地方都市が世界に対して集客が可能になった。また、上海での5年間の生活体験が日本の地方都市のポテンシャルに気づかせてくれた。そして福岡での経験が外国人旅行者がどんなことに喜びを感じるのか肌感覚としてわかったのも計画を後押しした。

 

九州中の都市を候補地としてリサーチし、いくつかの物件をピックアップしていた2017年の年末。とうとう長崎で条件に合いそうな一つの物件をみつけた。

 

そこは車も入れない。最寄りの駅から80mの高低差がある山の中腹にある築70年を超えた木造家屋だ。空き家になって3年ほどたち外観内観ともにボロボロだ。

ただ、最寄りの駅までは徒歩で10分。繁華街までも徒歩で15分で行ける。それに眺望が最高だ。

 

ここに決めた。

 

アクセスは悪い。でも駅前やリゾート地にはない、リアルな長崎の暮らしがそこにあると思った。その後、半年ほどかけて自力で改修し、2018年に宿泊施設としてオープン。

 

これが日本文化に興味のあるチャレンジ精神旺盛な欧米人を虜にした。

 

2019年には、一軒目に比べると立地的には随分と良くなったものの、似たような立地にある木造長屋の一室を改修した「長崎坂宿ゲスト」を開いた。

△長崎で空き家を見つけて購入。自力で半年ほどかけてリノベーションをする。
△1軒目の長崎坂宿ハナレ。浴室は全面的に改修し、残せるところは積極的に残した。
△2軒目の長崎坂宿ゲスト。

04

問題山積の長崎の斜面地。そこは空き家天国だった。

都市のエッジに新しい街を作ろう!


1軒目の木造民家を宿泊施設としてオープンさせてしばらくすると、地域の人とも徐々に交流がうまれた。

 

長崎は古くからの港町で、三方を山に囲まれ平地は極端に狭い。人口が増えると山を削って畑にしていたようだ。戦後は人口増加と経済成長にあわせて、ますます人は平野部から溢れ、山の中の段々畑に住宅を建てていった。

 

あぜ道をそのままに家を建てたため道幅は狭く、階段状の道だけが残され、大きな問題となっている。車が進入できないので、資材の搬入は困難。住宅の建て替えは進まず、住民の高齢化も進む。

 

地形的な制約によるアクセスの悪さ、住民の高齢化、建物の老朽化による空き家の増加。この問題を自分のアイデアで解決できたら面白い。

 

戦後、交通インフラを整える前に畑を住宅用地に変更したことが、現在の長崎の空き家問題の根本的な原因のひとつだろう。

△市街地に近い山裾は畑として開墾された。戦後、交通インフラを整える前にこの畑を住宅開発したことが現在の長崎の空き家問題の根本的な原因の一つだと考える。

住宅としては既に役割を終えている家屋が立ち並び、高齢者には坂の上という立地が厳しく現地では買い手がつかない場所。しかし、見方を変えたら街に直ぐにアクセスできる駅から徒歩10分圏内の立地は魅力的ではないだろうか?

 

空き家も使い方を変えたら何とかなるのではないか。

 

「若者や学生向けのシェアハウスはどうだろう?」

「眺望がいいからカフェやバー、レストランってのは?」

 

アイデアはいくつも出てくるが、どれも難しそうなことは容易に想像がつく。

若者や学生向けのシェアハウスは悪くないアイデアだと思うし現にいくつかある。カフェやレストランもやりかたによっては成立するだろう。しかし、どちらも私にはノウハウがない、採算ベースに乗せれる自信がない。

 

やはり最初はノウハウのあるホテルだ。なんてことはない民家を美しく改修して、眺望の良いホテルを作れば、これまでに出会った海外の彼らなら物珍しさと私の想いに共感して利用してくれるんじゃないか?

 

周りには似たような空き家が沢山ある。上手くいくなら、客室を増やしていこう。

利用者が増えれば飲食店や物販店を開くことができる。

 

空き家が崩れて空き地になっている場所は農園にしてもいい。そこでとれた野菜を収穫して宿泊客に食べてもらったり、加工して販売したりもできるだろう。

もとは畑だった土地だ。不可能じゃない。

 

客室が増えれば、スタッフが必要になる。住み込みのスタッフのために家を用意しなければならない。スタッフが増えれば、食事や日用品を買う場所だって必要になる。

 

物販店を開くなら販売するものが必要だ。海外の感度の高い人向けに地元の伝統工芸と掛け合わせたデザイン性の高いものが喜ばれるんじゃないか?

 

伝統工芸作家に客室の一部屋を無料で提供して、販売までしてもらう。そして、販売代金の一部を貰う形にすれば負担も少ないし、外国の人にも喜ばれる。

 

シェフがしばらく滞在して、農園でとれたものを使って料理して期間限定でレストランを開いたり、バケーションと言うより日常の延長線上のような空間を提供できれば面白い。

 

定住と旅行の間の……そう、ワーキングホリデーのような 1ヶ月から1年未満くらいの期間だけ滞在をする人、旅行者、そして定住者の3者が共存する街。

 

 

リゾート地ではなく、ある程度インフラの整った地方都市の、繁華街に近い割には斜面地故に空き家が増え過疎化しつつあるこの場所(=都市のエッジ)こそできることじゃないか!

△空き家を改修してホテルや店舗にする計画図。

05

「そんなことはどこでもやっています」

お金も人もかけずに差別化するアイデアを捻り出せ

 

2018年、法改正をきっかけに資本力のある企業が参入した。宿泊需要も順調に伸びたが、それをはるかに超えるホテル開発は需給バランスを崩し、競争は激化。そして韓国との政治的摩擦による韓国人旅行者の減少、そして。コロナウィルスによる世界的パンデミックが飽和気味だった宿泊業界にトドメを刺した。

 

2020年3月、追い打ちをかけるようにコロナウィルスの世界的な大流行による影響で、予約がすべてキャンセルとなった。

 

「なにやってもあかん。全然、予約が入らへん」

 

 私はパソコンの管理画面をみながら頭を抱えた。

△満を持して開発した2軒目の長崎坂宿ゲストが特に苦戦。1軒目に比べるとインパクトが弱いのが原因か。

このままでは運転資金が底をつく。やれることは、そんなに多くはない。

金融機関への融資の申し込み、それと補助金くらいだ。

 

いくつか利用できそうな助成金制度を探していると特別貸付の文字が目に入った。

貸付条件には、地元の商工会議所の推薦を受けた上で書類を提出せよと記載されている。

 

必要書類を揃えて、担当者にアポをとり早速面談に向かう。

そこで、面談担当者に書類を見せながらホテルの概要、将来的な目標、競合他社との比較、事業の強みなどを説明していく。貸付を受けなければ事業が2ヶ月後には頓挫してしまう。

 

一通り、説明すると担当者から一言。

「あなたのホテルの強みを教えてください」

 

私は「リーズナブルな宿泊料でデザイン性に富んだ空間を提供することでしょうか」と答えた。

 

「そんなのは強みにならないですよ。他の人もみんなそれをやっているでしょう?

 あなたのホテルに泊まる理由にならないですよね?」

 

……私は言葉に詰まった。 

 

本当に目指したい姿は町中に点在する空き家を一つひとつ丁寧に改修してホテルや飲食店などに再生していく、点が面になっていきそれが新しい街の形になる。そんな姿をコンセプトとして捉えている。

しかし、現実は不便な立地に建つ離れた場所に、民家を改修した宿泊施設が2軒あるだけだ。現時点で差別化できるポイントは見当たらなかった。

 

本来ならある程度まとまった単位で再開発するべきプロジェクトだが、個人でやるには資金が足りない。1軒1軒少しずつ改修し、徐々に採算ラインに乗せていくしかない。

 

 

サービス(ソフト)で差別化するか設備(ハード)で差別化するか……。

 

差別化を図る事例をリサーチしても「フレンドリーなスタッフを用意する」とか「友達ができるゲストハウスをコンセプトにする」とかだ。設備の差別化であれば「個室露天風呂のあるお部屋」や「本屋に泊まれるゲストハウス」なんかもあった。

△泊まれる本屋。メディアに載りまくったおかげか模倣するホテルやコンセプトを真似る所が続出した。

しかし、ソフト部分で差別化するには人件費が、ハード部分で差別化するには工事費がかかる。どちらにしても基本的に無人で運営している長崎坂宿では難しい。

 

人件費がかからず、過大な工事費もかからない方法。立地は変えられないし、家具や建物などの設備も大きく変えることはできない。その上で他の宿泊施設にはない、独自の差別化をする必要がある。

他の施設が簡単には真似のできない、そんなアイデアをひねり出す必要がある。

 

寝ても覚めても、考え続けた。

何か思いつかない限り明日はない。

幸か不幸か、宿泊の予約はなく時間だけはあった。

06

ヒントは新橋の居酒屋にあった。

自分は何もできない。ゲストにしてもらおう!

東京・新橋にある居酒屋にあるサービスを知った。

その居酒屋には都道府県ごとに区切られた棚があり、高校毎にノートが置いてある。

 

お客さんは、棚を見つけると自分の出身の高校があるかを探す。

なければ女将さんに言ってノートを作ってもらうこともできるらしい。

 

偶然にも自分の高校のノートを見つけたお客さんは、何年に卒業しただとか、何年もあっていなかった同級生のメッセージを発見したりだとか、同窓会をしようだとか、メッセージを書いたり読んだりして楽しむそうだ。

 

 

待てよ?

 

よく思い出してみると、泊まりに来てくれたゲストは、なんとなく波長の合う人たちだった。私の家に泊まろうと考える人たちはどことなく似ていた。

 

「知的でポジティブ」

「ミーハーな感じはなく、人生を本当に楽しんでいる」

 

そんな雰囲気を持っていた。

ゲスト同士が同じ時間を共有すれば、きっと仲良くなれてしまうだろう。

 

 

……彼らを繋げたい。

 

 

私の中に新しい街作りを支える新たな確信が芽生えた。

 

物理的に繋げるのではなく、彼らがそこにいた痕跡を感じられるようにすればいい。その部屋に蓄積されていく彼らの痕跡が強みになるはずだ。

 

アイデアは真似ることはできても、その痕跡は真似できない。泊まったゲストは自分がそこにいたメッセージを残して、他の誰かの痕跡からメッセージを受け取る。

 

自分のメッセージは誰かに何か影響を与えるかもしれないし、自分も誰かのメッセージに影響を受けるかもしれない。

 

 

そういう「仕掛け」のある空間を提供したらどうだろうか?

 

滞在した痕跡が残っていく街。

その瞬間に滞在したというメッセージが街の風景を作っていく。

△グストブック2.0。普通のゲストブックが旅の思い出や宿のお礼が綴られるのに対して、長崎坂宿のゲストブックには宿側からの質問があり、滞在者はその質問に答える。「あなたの人生で最良の選択を教えてください。」と。

△浄罪ガチャ。滞在者は自分の秘密=罪を告白し、備え付けのポストに投函する。投函された秘密は封をされガチャガチャに投入される。別の滞在者が、ガチャガチャを購入し他人の秘密を覗き見る。売上金はすべて地元の児童福祉施設へと寄付される。

07

おわりにー私が本当にやりたいことー

アメリカの経済学者アルヴィン・ロスは、腎臓移植を待つ子供の命を一つのアイデアによって救った。

 

子供の臓器提供の数は大人に比べて圧倒的に少ない。そこで彼は管理者が適合する臓器をもつ登録者を探してくれる「腎臓交換ネットワーク」というものを作り出した。登録者の腎臓を移植して子供の命は助かり、助かった子の親が他の登録者の子供のために自分の臓器を提供する側に廻る。

ある日本の農学者は、赤ちゃん用の紙おむつに使用されていた高吸水性高分子を植林時に砂に混ぜ込むことによって、砂漠を緑の森へ復活させた。

ブラジルのクリチバという街で、ジャイメ・レルネルという一人の青年のアイデアが無秩序な開発と人口増加、スラム化など様々な問題を解決した。

 

彼は車中心の都市計画から人間中心の都市計画へと変化させるという強いメッセージを込めて、市内1番の通りを歩行者天国とした。そして、市内中心部は緑地や広場、環状道路沿いにはオフィスや商業などが立ち並ぶように区画整備をした。

専用バスレーンと大輸送を可能とする連結バスとチューブ状のバス乗り場を設けたことで、地下鉄整備の10分の1以下の費用で先進的な交通システムが誕生した。それから約50年以上たった現在のクリチバ市は持続可能な都市の成功例として世界中から認知されている。

△ブラジル、クリチバ市にあるバス乗り場

うまくは言えないが、私はこんな事をしたいと思っている。

 

 

そう、私は社会問題を自分のアイデアで解決してみたい。長崎の抱える斜面地の空き家問題は深刻だ。長崎で空き家問題を解決できたなら、全国どこの空き家問題も解決できると思う。

 

いま私は空き家問題をきっかけに、都市のエッジに新しい街の形を提案してみようと挑戦している。

小笠原太一
​一級建築士
2011年に中国に渡り上海万谷建築設計有限公司にて10万平米を超える大型商業施設及び「創意園」と呼ばれるクリエイティブオフィスの設計・開発に携わる。
2016年に帰国後、福岡に移住。事業計画、マーケットリサーチを元に時代にあったコンセプトを元にした宿泊施設の企画と設計をする小笠原企画を設立。2018年から自社運営の宿泊施設「長崎坂宿」プロジェクトを開始。就職氷河期世代。

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